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兼高かおるは「世界の旅」で海外旅行を紹介!今現在や父は?【徹子の部屋】

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2月9日(木)徹子の部屋のゲストは兼高かおるさんです。

兼高かおるといえば何と言っても『兼高かおる世界の旅』で海外に飛び出した最初の番組といえるかもしれません。世界まるごとハウマッチやなるほどザ・ワールドのはるか前のことです。

この時代海外旅行に行くなど一大事のこと。1ドルが360円の時代です。

そうまだ固定相場だったのです。兼高かおるさんなんと80歳を超えても海外旅行に行くとおっしゃっています。

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この時代海外旅行が自由化された直後と言ってもしかも女性がというだけでおそらくはネタになっていたことが想像できます。結局世界の旅は1990年まで続いた長寿番組です。なんと41年続いた事になります。

兼高さん美しいです。番組始まった頃の画像には驚かされますね。

そんな兼高さんは、実は黒柳も通っていた女学校の先輩。その美しさは学内でも大人気で、卒業後のOG訪問では黒柳も思わず見に行ったほどらしいです。

兼高かおるのプロフィール

1928年2月29日(88歳)

生誕:兵庫県神戸市生まれ。
父親がインド人。ジャーナリスト(ツーリストライター)。香蘭女学校卒業後、ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍する。海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られる。「兼高かおる世界の旅」(TBS)のレポーター、ナレーター、プロデューサー兼ディレクターを務める。日本旅行作家協会会長。

1586回の放送回数を数えた同番組で、プロデューサー、ディレクター、ナレーター、そして出演者もこなしたのが兼高かおるさんです。

そんな長きに渡り第一線で活躍する、人生の先輩に、生きぬく知恵を伺いました。

「番組の第1回目に放映したローマを訪れた時は、羽田空港からプロペラ機で香港を経由して52時間かかりました。当時の為替レートは1ドル360円。外貨の持ち出し制限がひとり当たり1日17ドルでした。100日間の取材予定に60万円(約1,700ドル)を当時の千円札の束で渡されて、その厚さに驚くと同時に身の引き締まる思いがしました。当時の大卒の初任給が、9,000円(25ドル)の時代でしたから」

1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』を製作。現在は港区国際交流協会会長、日本旅行作家協会名誉会長等を務める。

1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』を製作。現在は港区国際交流協会会長、日本旅行作家協会名誉会長等を務める。

放送当初は日本のテレビ番組が全国放送を開始してわずか6年目、当然現地まで赴いて海外を取りあげる番組は初めて。そんな時代背景のなかで当時31歳の兼高さんはカメラマン、ディレクターのわずか3名のスタッフで前例のない取材と撮影を重ねることになります。

出典:https://croissant-online.jp/topics/36243/

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兼高かおるの父は

兼高かおるさんのお父様はインド人。兼高かおるに漂うオリエント感はこれで説明がつきますね。

みなさん兼高かおるさんは日本人ではないかもしれないと思った人は多いと思います。

気軽に海外に出かける腰の軽さはお父さんのちを引いているのかもしれません。

兼高かおるさんの本名は兼高ローズという名前です。

ただお父様についてはあまりお話しされていないよですね。事情はわかりません。

 

兼高かおる世界の旅動画

 

まとめ

ジャーナリストの兼高かおるがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、世界各地160か国を取材した映像を放送していました。

放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』( - とびあるき)だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断し、同年9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。放送回数は『世界飛び歩き』を含めて、1586回。全行程は721万kmであり、地球を180周した計算になります。

単に映像を放映するだけではなく、ナレーションとして、兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサーが、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していきました。

ちなみに、兼高のナレーション参加は番組開始当初から一貫して行われていた。「世界の旅」に鞍替えしてからも同様の構成で、特に変更はありませんでした。

しかし、途中から落合と簡単な会話をしつつ番組が進行するという形に変化していくことに。

そして、(再放送等で確認できる限りにおいて)42回目ごろには担当が芥川に変わり、両者の会話も非常に活発になって兼高自身も生き生きと語るようになり、この形式が、番組終了まで続きました。

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